持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

ザルツブルク Salzburg (2) 2009.8.2-4

 忘れてはいけない、と思ってまずチケットを受け取りに行った。チケットを取りに行くだけなので、もちろんいつもどおりのみすぼらしい格好。Tシャツとジーパンをひたすら着回すスタイルは最後の最後まで買えなかった。というより、ザルツブルクのコンサート用に持って行ったジャケット・パンツ・シャツ・ネクタイ・革靴のセット以外はそれしか服を持っていなかっただけだ。

 無事にコンサートチケットを手に入れた後はまずモーツァルトの生家へ。家の外壁に"Mozarts Geburtshaus(モーツァルトの生家)"とでかでかと新しい文字で書かれているのは如何なものか、とつい思ってしまったが、内部はモーツァルト時代の様子が復元されていたようだ。クラシックをアマチュアながら長らくやってきた者として何かしら感動を覚えると期待していたけれど、ここで特別な感情を抱くことはなかった。続いてモーツァルトが育った家にも赴いたが、同様だった。
 少し落胆しつつも街中をぐるりと歩いていると美しい教会や庭があって、「美しいなあ」と思っていたのだが、後からそれらが有名なDom(ザルツブルク教会)とミラベル庭園であることを知った。特にミラベル庭園はちょうど良い広さで、後に訪れるヴェルサイユの広莫な庭と比較すれば非常に落ち着くものだった。ベンチに座って談話する相手はこの旅では(幸か不幸か)いないので、ゆっくりと散歩してから宿に戻った。

 宿に戻り、店番のお姉さんに何だったか質問をすると、同じくらいの年の男に声をかけられた。
「君、アメリカの大学に通ってたりする?」
 ちょうど大学院を卒業して働く前に旅しているところだ、と答えると、やっぱりそうか、発音がアメリカ人っぽかったからつい親近感を覚えてしまった、と言われた(注;自慢ではなく、事実を記しているまでです)。この時点で自分は体験していなかったのだが、ヨーロッパをバックパッカーしている若者はオーストラリア人が圧倒的に多く、英語圏ではイギリス、ニュージーランド、と続くのだった。彼はアトランタの大学生で、夏休みを利用してヨーロッパを旅しているとのことだった。話し相手が見つかって嬉しかった僕は宿の晩ご飯も一緒に食べることにした。
 ユースホステルの中の小さなレストラン(というよりはキッチンダイニングに近い)で彼と、同じく彼が宿で会って親しくなったという女の子3人組と食べた。料理は、当然というべきなのか、オーストリア版カツレツであるシュニッツェルとビールだ。その女の子3人はオーストラリア出身で、名前が何故か見事にみんなEmmaなのだった。何を話したのかは覚えていないのだが、久しぶりに喋りながら晩ご飯を食べることができて楽しかった。
 宿のレクリエーションルームではSound of Musicの映画が無限ループで流れていた。小さい頃に観たことがある程度だったので腰を据えて見たかったのだが、その前でみんながいろんなことをいろんな言葉で話しているのであまり集中できなかった。F1大好きな日本人の女の人にも声をかけられ、結局全然観られなかったのを覚えている。その彼女は料理人で、旅行兼舌の修行でヨーロッパを回っているらしかった。ハンガリーGPに連日通ってお財布が寂しいと嘆いていた。なんだか旅の愚痴に付き合う形になってしまったが、たまには日本語で話すのもいいものだ、と素直に楽しんでいたのだった。
 この旅で久しぶりに会話を楽しんだことに驚き嬉しくなって、翌夜のコンサートに思いを馳せながら早めに眠りについた。