持つべきものは妙なこだわり

執着もいずれ愛着に変わる

おもろいということ

 「おもろい」(もしくは「おもしろい」)という日本語(というか関西弁)は非常にカバーの広い言葉だ。英語のinterestingとentertainingとfunnyをごちゃまぜにした感じだ。(あいまいといえば、「カワイイ」の曖昧さがフランスなどの外国で大好評で、みんな使っているらしい。)
 それでこのブログの目指す「おもろい」とは何なのか。
 結論から言えば、「・・・ぷっ!」「・・・あはは!」「・・・ぐへへ」というように、ついついくすっと一人で笑ってしまうようなものを目指しているのである。最後のぐへへは少し違うが、まあそういう笑い方をする人もいないわけではないと思って追加しておいた。
 さらにこだわりがある。活字で笑わせるのだ。
 視覚で笑わせることは私のモットーに適合しない。視覚は、どの人が見ても同じ映像しか脳に認識されない。しかし文字は違うのだ。その人が生きてきた経験からその場面を勝手に想像する。妄想といってもいい。そのおもしろさがおもろいのだ。(別に活字でなくても言葉だけならいい。だから私はよくしゃべる。)そして、顔文字も禁止。顔文字見るくらいなら自分でガビーン!ってなってる顔を想像しなさいと言いたいのだ。
 たとえば、次の文章を見てみよう。


「はい、靴をそろえて。そして腰骨をたてよう」


 富士重工を見学に行ったときに途中にあった小学校の標語だ。おもしろい。爆笑ものだ。それぞれの人が、勝手にだれかを想像して、その人が靴をそろえ、腰骨を立てるのである。どうやるかはしらないが、とりあえずおもろい。
 要するに、自分はこんなバカなことを考えて一日を過ごしているということだ。しかもこの文章まったくもってまとまっていない。ひどい記事だ。