持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

アタマワルイ

 誰が、ということではなく、現代人一般的に。自分含め。ワルイというより、悪くなってきているというのが正しい。世の中、便利になりすぎだ。
 明らかにいまの小中高生は日本語を使いこなせていない。まあ自分含む大学生もかもしれないが。高校一年生にもなって「犠牲」を書けない教え子を見ておどろいた。犠牲だけでなく、いつも漢字があやしい。教えているのは英語だけれど、目に余るものがある。今の中高生はもしかしたら漢字字典も引かないのではないか。電子辞書の便利さもここまで来ると考え物だよ。
 そんなことよりひどいのはウイイレ10の実況だ。「どうご覧になられますか」はどう拝聴しても違和感が残ります。ほかにもいろいろあった気がするぞ。そんな今日の朝日新聞夕刊には敬語の区分わけの話が。区分とかはどうでもいいけれど、公共の場に流れる違和感丸出しの日本語は何とかならないんですかねえ。「ご乗車できません」とか。

 そんな世の中、理系でもコンピュータが頭よすぎて人間頭悪くなってきていますね。CADが当たり前の中、かなりアナログな製図は、ある意味かなり頭を使って、そういう意味でいい伝統だと最近思う。30年前からやってる内容はほとんど変わっていないんだとか。CADだとものをドラッグすればくるくる勝手に回ってくれるが、図面だとそうはいかない。スケッチ図をすらすら書ける能力ってのはエンジニアとして重要だと分かる。今は三面図に甘んじているけれど。

 最近は特に計算もせず図面を描いているだけだけれど、力の流れだとか、部材の役割だとかが分かって、かなり勉強にはなっている気がする。いま、工場見学言ったらおもろいだろうな。三年のとき行っても「すげえ」としか思わなかった。小学生の感想文みたいだ。
 ずっと描いているから線を描くのはかなりプロくなってきてる。もはや0.3mm芯しか使っていない。細かすぎるから。雲形定規の使い方もだいぶなめらかになった。

 明日は翼胴結合からようやく卒業というか脱出。次は水平尾翼。あんな構造してたんだねえ。
 それにしても、自分のひこーきは大して特徴がない。その分、細かく部材図をがんばっているつもりなんですが、どうなんでしょうか。