持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

趣味は広く深く

 いきなりアクセスが増えたので調子にのってもうちょっと書きます。
 齢二十三、さらに趣味を増やそう、アンド、深めようと思っているのであります。
 まずは映画でしょうか。名作と呼ばれる物を見て行きつつ、最近の物も。ここ最近はアニメ映画を多く観ていますが。攻殻機動隊、未だに難しいです。老人Zは、単純に面白かった。ランボーも観た。面白い。
 そして趣味としてはものすごい歴史を誇る、釣り。友達・先輩5人くらいの間で密かな大ブーム。渓流のなか、浮きをじっと眺めている時間は心がかなり虚無に近くなり、なかなか味わうことのない感覚。釣れたときは、たとえ小魚であってもめちゃうれしい。しかしアメリカ人は魚を食うものと思っていないのか、キャッチアンドリリース専用の所が多い。ただの魚いじめではないか。やはり釣った魚は食ってこそ魚に対する礼儀だ、と釣り仲間内での共通の認識が生まれました。
 そろそろ料理も必要を超えて趣味の域に入りたい。ということで調味料かなりそろえてきています。冷蔵庫の扉はほとんど自分のもので占拠されているため、現在二人で使っているからいいものの九月から4人で使うことを考えると四次元ポケット性をどこかに求めなければなりません。新しいルームメイトが料理しない人たちでありますように。
 趣味として、トップにくる音楽ですが、中途半端どまりのギターを最近はちゃんと練習しております。当然ながらピアノがおろそかになる。まあそんなもんだ。ピアノを技術的に今以上にパワーアップさせようとなるとオニのような練習が必要なのは目に見えているので、ちょっと重い。今思いついたが物事の上達はy=ln(x)みたいなもんじゃないか。収束はしないが遅い。これは偉大なる発見かもしれん。多分違うけど。あと、譜読みはものすごい疲れるのであります。譜読みしてるときの脳波とかを調べると面白いんじゃないかな。

 それにしても思うのは、三十にして立つ前に、世の中の楽しみをいろいろ知っていないといけませんな。しかし、孔子ですら三十だから、自分は四十くらいにならないと立てないのか。何ともはや気の長い話である。