持つべきものは妙なこだわり

執着もいずれ愛着に変わる

ベネチア Venezia 2009.7.29-30

 ミラノベネチア間も高速鉄道なので、そう時間はかからない。2時間くらいだったろうか。寝ぼけながら起きると、海が見えてきていた。ベネチアという名の駅は二つあって、終点まで行け、とガイドブックにも書いてあったのでそこは間違わず、大丈夫だった。しかし、妙にトイレに行きたい。ヨーロッパの鉄道はたいてい、トイレが垂れ流し、つまり、単純に線路に落とすのである。だからトイレには「駅の近くではトイレを使うな」と書いてある。日本と違って、鉄道の大部分がど田舎を走っているので、わざわざタンクにためたりしないのだろう。しかし、駅の近くであっても、用を足したいときは足したいのだ。ぎりぎりここは駅の近くではないだろう、という、二つのベネチア駅の間(そこは海を渡す長い橋の上)で、清々しいひとときを楽しんだ。若干、後ろめたかったのは間違いないけれど。
 ベネチアの島には泊まらないので、駅に着いてまず重苦しい荷物を預けることにした。いままでは節約のために宿まで持っていったり、担いだまま観光していた。何せ、ロッカー(というよりは、荷物預り所)に預けるのに4ユーロもかかる。ここぞとばかりに観光客からふんだくってくる姿勢は、さすが観光大国。アメリカ人も"What!? 4 Euros! That's ridiculous!"とみんなまったく同じ反応をするのが面白い。結局みんな背に腹は代えられず、預けていくはめになるのだが。
  旅の前の調査で、「ベネチアはいまいちだよ」と言う知人が多かった。イタリア人の研究室同僚でさえ、「ベネチアなんて3時間いりゃ十分だあんなもん」と言っていたのであまり期待はしていなかったが、駅舎から出れば水の都、さすがだ。ゴンドラに乗るお金と心の余裕は持ち合わせていないので、ヴァポレットという水上バスに乗っていくことにした。これがまたふんだくられる。それに加えて、「パスポート券」「セット券」などいろいろあって、住民はどこへやら観光客しか見当たらなくて、みんな水上バスからカメラを構えていて、もうこれは、一大テーマパークだ。思わず「ディズニーランドやな」との感想が口から出てしまった。大通りには、住居が見当たらなくて、ほとんどがブランド店かベネチアン・グラスなどの土産屋。ここに本当に人は住んでいるのか?目玉であるサンマルコ広場とサンマルコ寺院 Piazza / Basilica di San Marcoは訪れて、「寺院」という和訳が確かにそのとおりだという気持ちになったが、最後の最後までテーマパーク感が拭えることはなかった。帰りは狭い通路を選んで住宅地らしきところを行こうとしたものの、人の気配はあまりしなかった。この時点で、ベネチアに対する心象はあまり良いものではなかったが(もちろんきれいだとは思ったけれど)、僕はベルギーでイタリア人に会って反省させられることとなる。
 さて、くたくたになって宿に向かうこととなった。その日の泊まる場所は、弟が翌朝早くの飛行機に乗って帰国するので空港近くの小さなホテルを予約してあった。しかしまあ、ラテン系のバスは本当に不親切で、次の駅の名前も放送してくれないし、バスの中に日本のような電光掲示板はない。窓の外に目を凝らして、「ここか?…ちがう」「ここか!…ちがうな」と気の休まるときもなく揺られること20分くらい、泊まるホテルらしき建物を少し通り越したところで、「ここだ!」と降りた。ホテルの受付を済まし、部屋に入ると、なんと、2段ではないベッドがあるではないか。布団も分厚い。おお、床が板張りじゃない。テレビがある!すげえ!とここまでホテルで感動したことはこれまでなかった。近くのパスタ・ピザ屋さんで夕食を楽しみ(特別に美味しいわけではなかったが)、この旅で二度と入ることのないホテルという建物を存分に楽しんだ。
 さあ、ここまでは計画がびっちりと決まっていたのだが、8月3日にザルツブルクにいなければならない、ということ以外はほとんど何も決めていなかった。4、5日をどこでどのように過ごそうか。とりあえずこのくそ暑いイタリアからは一刻も早く脱出したい。ミュンヘンまで電車で一気に行ってもいいけれど、電車の長旅もあまり気乗りしない。特に理由はないけれど、涼しそうだし、インスブルックに行こうかな。そんな、適当な決め方で、本当の意味での一人旅がその次の日から始まった。