持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

面倒なのは敬語・丁寧語ではなく、タメ語と使い分けるスイッチを脳内で切り替えることではないか

英語と異なり、日本語には敬語や丁寧語があり、それがコミュニケーションの、迅速性を失わせているという考え方があります。この考え方は理解できるものの、実際に面倒なのは敬語・丁寧語そのものではなく、話し相手あるいは状況に応じてタメ語(タメ口)を使い分けるスイッチを脳内で切り替えることではないでしょうか

タイマンで話している時にはタメ口だが、敬語丁寧語を話さなければいけない人と同時に入る時、同じ人に敬語丁寧語を話すという不条理が非効率を生んでいるように思うのです。

これをふまえ、私は仕事の場では誰に対しても敬語丁寧語を使います。そうすると例えば英語でフラットに話しているのと全く同じ状況になるのでストレスや面倒を感じることはほとんどありません。

少し話は逸れますが、目上の人に敬語を使わないのが失礼というのであれば、ただ年齢が下であるとか後輩であというだけで敬語を使わないというのもその人に失礼ではないでしょうか。

ところでまたまた話が逸れますが、「おられる」という表現が一般化したように思います。本来であればいらっしゃるが正しいところ。気にはなりますが、そういうところを注意することはまさに会話の迅速性を失わせることなので、特に注意しません。自分が気をつければいいことです。