持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

Samuel Adamsビール工場見学

 土曜日にはSamuel Adamsというボストンの元地ビール(現在は大手)の工場行ってきました。
 そしておきまりの試飲の量がこれまたアメリカンサイズ。大きめのコップに並々とつがれる。うまい。あー酔ってきた。え、まだあるの?これまた季節限定とやらで、さっぱりしててうまいじゃないか。ああふらふらしてきた。え、3杯目?うー、でもうまい。ところで、

 なんでアメリカ人の皆さんはまったく酔ってらっしゃらない?

 しかもこれからさらにバーに行こうと言うではないか。enzymeの差、明確に浮き出た瞬間であった。
 ところでこちらのビールは、ドイツビール寄り。キリっとした感じではなく、味わう感じです。Samuel Adamsだけでも20種類以上あって、飽きない。しかし缶ビールがないため、プシュっができないのが極めて残念である。プシュっ。トクトクトク。ゴクッゴクッ。カァーーーーーーっ。が懐かしい限りだ。
 そしてこっちの人はつままない。ひたすら飲む。飲む。たこわさ欲しいよ。枝豆ほしいよ。そしてパーティではひたすら立ちっぱなししゃべりっぱなし。どこからあのエネルギーが出てくるんだ。やはり食べる量か。
 みんな社交的でたくさんと知り合えるのはいいけれど、家で数人で飲んで食卓を囲む、ということはないのかなあ。自分は3、4人で奥深きことを話すのが好きでおじゃるが。そんなことができる友人を作りたいところであります。


 いや、とりあえず友人より眼鏡がほしい。あうー