持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

『客観性の落とし穴』:個人ストーリー重要性の見直しと、落とし穴の落とし穴

『客観性の落とし穴』著:村上靖彦 を読んだ。
ちくまプリマー文書は平易な言葉で読みやすく入門書として適している。書店で平積みされていたので手に取った。

病に伴って、自分は「ほんとう」に感じている痛みを医師が一般的な症状でないからという理由だけで蔑ろにするたとえは、客観性あるいは一般化された知識体系「のみ」を重視することの恐ろしさを感じるのに十分だった。統計学偶然を「飼いならす」ための学問だという引用も心に残った。統計分析の結果、マジョリティが「正常」、マイノリティが「異常」だというラベリングが生まれがちだが、本来多寡と正常異常は直接的に関係はない。政治的な意思 (恣意といってもよい) が紛れ込んでいるのだ。

著者の専門分野であることにより、後半はケアに関する事例紹介が多い。他の視点での例も提示してもらいたかった。

ところでこの本と著者が主張しているのは、客観的評価や統計を用いることの否定ではなく、これらによって個人のストーリーや偶然が無視されてしまうことである。客観性を必要以上に否定し個人の主張を押し通す道具としてこの本が用いられることを、少しながら危惧するのであった。