持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

ミュンヘン München 2009.7.31

 ミュンヘンに着いたのは、午後4時半頃。イェンバッハ駅の公衆電話ですでに宿は予約していたし、その宿は地下鉄に乗って20分くらいかかるくらいの郊外だったので、コインロッカーを探して預けることにした。2、3ユーロはしたので安くはなかったが、いちいち宿に置いて戻ってくるほど無駄なエネルギーは持ち合わせていなかった。4,5ユーロふんだくるイタリアよりはいくらかましだろう、と自分を納得させた。
 単純に表現すれば、ミュンヘンは都会だった。それはもちろん、東京のように無機質で馬鹿高いビルが立ち並んでいるというようなことはないが、都会の雰囲気で溢れている。まず、人が多い。そして、ファッションが垢抜けている、ような気がする。ブランド店も多い。中央駅から新市庁舎までをつなげるノイハウザー通りNeuhauser Str.は、人と現代的な店で溢れていた。ああ、ここは確かに便利で住めそうだな、と思ったのは、この街の大学と共同で研究するために何ヶ月か住み、完璧なミュンヘンかぶれになって帰ってきた友達の影響だろう。
ミュンヘンは本当にいいところなんだよ!」
という彼女の言葉に、短い間住んだだけだから良いところしか見えないんだ、とさも分かったようなコメントをしたが、少なくとも住み心地の悪い街でないことはすぐに分かった。
 新しい街に着いたら一番(かそれに近い)高い建物に登って街の全体像を見ることにしていたので、地球の歩き方で探す。初めて「ヨーロッパ」編を使った日だった。イタリア滞在中は「イタリア」を使っていたし、インスブルックは載っていなかったのでそのときは使わなかった。するとちょうどペーター教会Peterskircheの塔が上れるということだったので、曇り空で沈み気味の気分を振り払って頂点を目指すことにした。
 294段となかなかに長い階段だったがイタリアでの良きせぬダイエットのおかげで体は軽くなっていたので、ぐんぐん人を追い抜いていった。二人の賑やかな女の子のアメリカ英語が聞こえたので、追いついて一休憩しているときに、二人に声をかけた。久しぶりにこてこてのアメリカ英語を聞いて懐かしくなったせいもあったが、日本語(いや、日本での日本語と限定すべきかもしれない)ではまずもって知らない女の子に声をかけるなんてことはできた性格ではないのに英語だと何故かそれが出来る。とにかく、何から話しかけたかはまったく覚えていないが頂上に着くまでの間に、どこから来たんだ、今は学生なのか、ミュンヘンはどこがいいんだ、などということを話したのだと思う。頂上ではそれぞれが景色と写真に夢中だったので話は途切れたが、彼女らのほうが先に降りようとして、
「これからご飯食べるんだけど、一緒にどう?」
と誘われた。僕は、
「ごめん、さっき食べたばっかりでお腹いっぱいなんだ。二人で楽しんでくるといいよ」
とそっけなく断ってしまった。二人はさらりと、あらそう、そしたら街のどこかでまた会えたらね、と旅行者同士のお決まりの社交辞令を交わして塔を下っていった。すると展望室のおみやげを売っているおっちゃんが、
「あーあ、せっかくの機会を無駄にしちゃって」
と話しかけてきた。ははは、と笑って、
「いや、本当に腹いっぱいなんだよ。それに、あまり人と長い間喋りたい気分ではないんだ」
実は後者が本音に近くて、別に食べようと思えば何でも腹に入ることを読み取ってくれたのかどうかはしらないが、なるほどね、とぼそっと答えてくれた。絶好の快晴ならまだしも、どんよりとした夕方ではオープンカフェでおしゃべり、という気分ではなくなる。女の子から食事に誘われるなんて人生にあと何回あるだろう、と気付いた時には、もう遅い。
 いまふと思ったが、もしかしたらこれはウィーンでの出来事だったかもしれない。ペーター教会の展望室におっちゃんなどいない、という報告があればお待ちしています。どの街に行っても高い塔に登っていると、こういう曖昧な記憶になってしまうのだな。