持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

観てしまった

 直視したくないものはたくさんある。
 数年後の自分。敗北という事実。どうすることもできない過ち。そして、


 目の前のカップルの接吻。
 なぜだ。なぜそこでやる必要がある。なぜいまやる必要がある。


 なぜ東大前駅入り口で18:30にやる必要がある。
 もうそれは、直視せざるを得ない位置にいた。さらに、である。問題はTOPだけではなかった。HOWの問題もあったのだ。
 所謂、hugをしていないのである。顔だけが近づいているその様子は、なんというか、こう、


 エロい。限りなく。
 艶かしいとか淫らとかではなく、エロい。なんだあれは。
 ああ、なんだか観てはいけないものを観た、というよりは、これ見よがしに見せられた気がして不愉快だった、というよりはそのような次元は超えてもう苦笑するしかなかった。そんななかホームにおりて行くと、
「感覚神経系はね、」
などと口にしながら男が女の二の腕をさすっている。


 またエロい。
 こっちは邪なエロさだ。ワンクッションおいているだけに余計にいやらしい。そんなことをやるために科学的知識を使うとはさすが東大生である。東大生かどうか知らないけれどもはやそんなことはもはやどうでもよい。
 今日は一体全体なんだったんだろう。明日はいい日でありますように。