持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

新年、家族集まって目標を発表し合おうの会

妻の実家では、新年に家族みんな集まって目標を書いて発表し合う会が開かれています。
今年は僕もそれに参加するつもりだったのですが、元旦に(毎年恒例の)熱を出してしまったため参加できず、今日妻と息子(0歳)と会合を開きました。

これはとても良い習慣になりそうです。
毎年実践して、少しずつ洗練させていきたいと思います。その土台として、2017年の実践結果を残します。

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思っているだけでなく言う、言うだけでなく行動するようにしたい

「僕にはこんなアイデアがあるんだ」
ということなら誰でも出来ます。
そのアイデア「最後までやりきって形にするかしないか」が、人と人の違いだということをつくづく感じた2016年でした。

これからは100年人生時代。何かを創造しない100年は、あまりに長すぎます。
ブログで発信するという小さなことから、行動を始めます。
まずは記事のテーマにこだわることなく、100記事を作り出すことから!

自分が実体験したこと、自分自身が考えたことだけを忠実に書いていきます。

ザルツブルク Salzburg (2) 2009.8.2-4

 忘れてはいけない、と思ってまずチケットを受け取りに行った。チケットを取りに行くだけなので、もちろんいつもどおりのみすぼらしい格好。Tシャツとジーパンをひたすら着回すスタイルは最後の最後まで買えなかった。というより、ザルツブルクのコンサート用に持って行ったジャケット・パンツ・シャツ・ネクタイ・革靴のセット以外はそれしか服を持っていなかっただけだ。

 無事にコンサートチケットを手に入れた後はまずモーツァルトの生家へ。家の外壁に"Mozarts Geburtshaus(モーツァルトの生家)"とでかでかと新しい文字で書かれているのは如何なものか、とつい思ってしまったが、内部はモーツァルト時代の様子が復元されていたようだ。クラシックをアマチュアながら長らくやってきた者として何かしら感動を覚えると期待していたけれど、ここで特別な感情を抱くことはなかった。続いてモーツァルトが育った家にも赴いたが、同様だった。
 少し落胆しつつも街中をぐるりと歩いていると美しい教会や庭があって、「美しいなあ」と思っていたのだが、後からそれらが有名なDom(ザルツブルク教会)とミラベル庭園であることを知った。特にミラベル庭園はちょうど良い広さで、後に訪れるヴェルサイユの広莫な庭と比較すれば非常に落ち着くものだった。ベンチに座って談話する相手はこの旅では(幸か不幸か)いないので、ゆっくりと散歩してから宿に戻った。

 宿に戻り、店番のお姉さんに何だったか質問をすると、同じくらいの年の男に声をかけられた。
「君、アメリカの大学に通ってたりする?」
 ちょうど大学院を卒業して働く前に旅しているところだ、と答えると、やっぱりそうか、発音がアメリカ人っぽかったからつい親近感を覚えてしまった、と言われた(注;自慢ではなく、事実を記しているまでです)。この時点で自分は体験していなかったのだが、ヨーロッパをバックパッカーしている若者はオーストラリア人が圧倒的に多く、英語圏ではイギリス、ニュージーランド、と続くのだった。彼はアトランタの大学生で、夏休みを利用してヨーロッパを旅しているとのことだった。話し相手が見つかって嬉しかった僕は宿の晩ご飯も一緒に食べることにした。
 ユースホステルの中の小さなレストラン(というよりはキッチンダイニングに近い)で彼と、同じく彼が宿で会って親しくなったという女の子3人組と食べた。料理は、当然というべきなのか、オーストリア版カツレツであるシュニッツェルとビールだ。その女の子3人はオーストラリア出身で、名前が何故か見事にみんなEmmaなのだった。何を話したのかは覚えていないのだが、久しぶりに喋りながら晩ご飯を食べることができて楽しかった。
 宿のレクリエーションルームではSound of Musicの映画が無限ループで流れていた。小さい頃に観たことがある程度だったので腰を据えて見たかったのだが、その前でみんながいろんなことをいろんな言葉で話しているのであまり集中できなかった。F1大好きな日本人の女の人にも声をかけられ、結局全然観られなかったのを覚えている。その彼女は料理人で、旅行兼舌の修行でヨーロッパを回っているらしかった。ハンガリーGPに連日通ってお財布が寂しいと嘆いていた。なんだか旅の愚痴に付き合う形になってしまったが、たまには日本語で話すのもいいものだ、と素直に楽しんでいたのだった。
 この旅で久しぶりに会話を楽しんだことに驚き嬉しくなって、翌夜のコンサートに思いを馳せながら早めに眠りについた。

ザルツブルク Salzburg (1) 2009.8.2-4

 ミュンヘンを朝9:27に発つ急行列車に乗り込み、一気にザルツブルクに向かった。

 天気は良く、そこまで暑くもなかった。けれど相変わらずバックパックは重たいので、まずは宿に向かった。駅から宿へと向かう途中、日本人らしき二人組を見つけた。歩いて行く方向がまったく同じだったので、多分同じ宿に泊まるのだろうなと思った。予約していた宿は、ユースホステル検索サイトのトップに出てくる宿だったからだ(ちなみに、先ほど調べてみてもやはり1位にランキングされていた。Yoho Internationalというところだ)。前の二人を追い越さないようにゆっくり歩き、思ったとおり同じ宿に到着。当然ながら、チェックインするために同じ列に並ぶ。だが、自分からは声をかけない。
 今から考えれば本当に馬鹿らしく、もったいないことなのだが、何故か僕は「日本人とはむやみに喋るまい」としていた。せっかくのヨーロッパだから日本語をしゃべって雰囲気を壊したくないと思っていたのか、はたまた「おれは君たちとはちょっと違うんだ」などという下らなく理論も通っていないプライドを持っていたのか、自分からは日本人には話しかけないことにしていた。今思えば、本当に訳がわからないルールだ。
 さて、チェックインは英語なので自分が日本人だということは前の二人にはばれず(多分顔つきで日本人かどうかは分かっていたと思うけれど)、部屋にでかい荷物だけ放り投げ、必要なものだけ小さいバッグに入れて早速街へと出かけた。

 街はこじんまりとしていてすぐに一周できてしまうくらいだったが、そのこじんまりさが大都市とは違って、良い。ヨーロッパ史には疎いのだけれど、小高い丘の上に要塞が建っており、重要な拠点であったことを教えてくれる。僕がザルツブルクについて知っていたことと言えば、Sound of Musicの舞台であることと、モーツァルトの誕生地であることと、そのモーツァルトを讃えてのザルツブルク音楽祭。そのためにこの街にきたのだ。半年ほど前からコンサートチケットの予約をとって。

ミュンヘン 2009.8.1

 レーゲンスブルクから戻ったミュンヘンであったが、もうやることは一つしかなかった。ビールを飲むことだ。前日も軽く飲んだが、せっかく初めてのミュンヘンなのだから、かの有名な老舗Hofbräuhaus(ホフブロイハウス)で飲むことにした。初めての土地ではある程度ミーハーになることが重要だ、と言えば格好良いが、要はミーハーな所でないとどこに入っていいか全く見当がつかないだけの話。

 ビアホールに独りで入ったことなどなかったけれど、やはり非常に居心地が悪い。しかし、うまいビールを飲むまでは引き下がれないので早速注文。問答無用で1リットルの大ジョッキしかない、Dunkelというダークビールを注文する。こんなときくらいケチらずにちゃんとご飯も頼めばいいものの、まだその金銭感覚が養われておらず、ソーセージ一個だけをサイドとして頼んだ。

 

ビールが出てくるとさすがに「デカッ!」と苦笑いだったが、美味しくて酔っ払って、苦笑いがそのうち半笑いに変わっていた。一人旅をして贅沢をしている嬉しさと、一緒に馬鹿な話をできる仲間がいない自分への嘲笑が交じっていた。隣のテーブルで飲んでいる20代そこそこの男らは、実に楽しそうだ。次は、Oktoberfest(オクトーバーフェスト)にアホ騒ぎが出来る良い仲間と来よう。そう誓ってホステルに戻った。

 明日はついに、ザルツブルクだ。

関連リンク

Welcome - Hofbräuhaus