持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

「意にそぐわない」は誤り、「意に沿わない」が正しい:辞書引きの楽しみ

【追記 2020.08.29】関連記事に、副詞表現の記事を掲載しました。
豊かな副詞表現、本来と近年の使われ方 - 持つべきものは妙なこだわり

【追記修正 2019.04.26】左記日付現在、最も読んでいただいている記事であるため、文章表現を少し改めました。



ふと「意にそぐわない」が正しい日本語なのか気になりました。

新明解国語辞典三省堂)では、「そぐわない」は掲載されているものの「そぐう」がありませんでした。
三省堂 web dictionary でも同様でした。
三省堂 Web Dictionary

一方、goo辞書(デジタル大辞泉採用)では掲載されていました。
dictionary.goo.ne.jp

辞書による違いがあって面白いなと思う一方、元々使おうとしていた「意にそぐわない」という文は「そぐう」の意味 (釣り合う) から判断すると正しいとは言えず、「意に沿わない」が適切のようです。

国語辞書を読む楽しみ

仕事中にふと出会う日本語に対する疑問を立ち消えにせず、国語辞書を手に取って調べてみることをおすすめします。使える言葉が増えるということは、そのまま思考の幅が広がることだと思うのです。
職場及び自宅で、国語辞書は「新明解」を愛用しています。一風変わった定義や、辛辣な定義をしていることで有名ですが、そういった言葉はむしろ限定的であるように思います。

新明解国語辞典 第七版

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  • 発売日: 2011/12/01
  • メディア: 単行本

私が使っているのは第四版です。1989年出版とは驚きました。

新明解国語辞典 第4版

新明解国語辞典 第4版

  • メディア: 単行本

関連記事

他にも日本語に関する記事を書いています。
covacova.hatenablog.com
covacova.hatenablog.com

新年、家族集まって目標を発表し合おうの会

妻の実家では、新年に家族みんな集まって目標を書いて発表し合う会が開かれています。
今年は僕もそれに参加するつもりだったのですが、元旦に(毎年恒例の)熱を出してしまったため参加できず、今日妻と息子(0歳)と会合を開きました。

これはとても良い習慣になりそうです。
毎年実践して、少しずつ洗練させていきたいと思います。その土台として、2017年の実践結果を残します。

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思っているだけでなく言う、言うだけでなく行動するようにしたい

「僕にはこんなアイデアがあるんだ」
ということなら誰でも出来ます。
そのアイデア「最後までやりきって形にするかしないか」が、人と人の違いだということをつくづく感じた2016年でした。

これからは100年人生時代。何かを創造しない100年は、あまりに長すぎます。
ブログで発信するという小さなことから、行動を始めます。
まずは記事のテーマにこだわることなく、100記事を作り出すことから!

自分が実体験したこと、自分自身が考えたことだけを忠実に書いていきます。

ザルツブルク Salzburg (2) 2009.8.2-4

 忘れてはいけない、と思ってまずチケットを受け取りに行った。チケットを取りに行くだけなので、もちろんいつもどおりのみすぼらしい格好。Tシャツとジーパンをひたすら着回すスタイルは最後の最後まで買えなかった。というより、ザルツブルクのコンサート用に持って行ったジャケット・パンツ・シャツ・ネクタイ・革靴のセット以外はそれしか服を持っていなかっただけだ。

 無事にコンサートチケットを手に入れた後はまずモーツァルトの生家へ。家の外壁に"Mozarts Geburtshaus(モーツァルトの生家)"とでかでかと新しい文字で書かれているのは如何なものか、とつい思ってしまったが、内部はモーツァルト時代の様子が復元されていたようだ。クラシックをアマチュアながら長らくやってきた者として何かしら感動を覚えると期待していたけれど、ここで特別な感情を抱くことはなかった。続いてモーツァルトが育った家にも赴いたが、同様だった。
 少し落胆しつつも街中をぐるりと歩いていると美しい教会や庭があって、「美しいなあ」と思っていたのだが、後からそれらが有名なDom(ザルツブルク教会)とミラベル庭園であることを知った。特にミラベル庭園はちょうど良い広さで、後に訪れるヴェルサイユの広莫な庭と比較すれば非常に落ち着くものだった。ベンチに座って談話する相手はこの旅では(幸か不幸か)いないので、ゆっくりと散歩してから宿に戻った。

 宿に戻り、店番のお姉さんに何だったか質問をすると、同じくらいの年の男に声をかけられた。
「君、アメリカの大学に通ってたりする?」
 ちょうど大学院を卒業して働く前に旅しているところだ、と答えると、やっぱりそうか、発音がアメリカ人っぽかったからつい親近感を覚えてしまった、と言われた(注;自慢ではなく、事実を記しているまでです)。この時点で自分は体験していなかったのだが、ヨーロッパをバックパッカーしている若者はオーストラリア人が圧倒的に多く、英語圏ではイギリス、ニュージーランド、と続くのだった。彼はアトランタの大学生で、夏休みを利用してヨーロッパを旅しているとのことだった。話し相手が見つかって嬉しかった僕は宿の晩ご飯も一緒に食べることにした。
 ユースホステルの中の小さなレストラン(というよりはキッチンダイニングに近い)で彼と、同じく彼が宿で会って親しくなったという女の子3人組と食べた。料理は、当然というべきなのか、オーストリア版カツレツであるシュニッツェルとビールだ。その女の子3人はオーストラリア出身で、名前が何故か見事にみんなEmmaなのだった。何を話したのかは覚えていないのだが、久しぶりに喋りながら晩ご飯を食べることができて楽しかった。
 宿のレクリエーションルームではSound of Musicの映画が無限ループで流れていた。小さい頃に観たことがある程度だったので腰を据えて見たかったのだが、その前でみんながいろんなことをいろんな言葉で話しているのであまり集中できなかった。F1大好きな日本人の女の人にも声をかけられ、結局全然観られなかったのを覚えている。その彼女は料理人で、旅行兼舌の修行でヨーロッパを回っているらしかった。ハンガリーGPに連日通ってお財布が寂しいと嘆いていた。なんだか旅の愚痴に付き合う形になってしまったが、たまには日本語で話すのもいいものだ、と素直に楽しんでいたのだった。
 この旅で久しぶりに会話を楽しんだことに驚き嬉しくなって、翌夜のコンサートに思いを馳せながら早めに眠りについた。

ザルツブルク Salzburg (1) 2009.8.2-4

 ミュンヘンを朝9:27に発つ急行列車に乗り込み、一気にザルツブルクに向かった。

 天気は良く、そこまで暑くもなかった。けれど相変わらずバックパックは重たいので、まずは宿に向かった。駅から宿へと向かう途中、日本人らしき二人組を見つけた。歩いて行く方向がまったく同じだったので、多分同じ宿に泊まるのだろうなと思った。予約していた宿は、ユースホステル検索サイトのトップに出てくる宿だったからだ(ちなみに、先ほど調べてみてもやはり1位にランキングされていた。Yoho Internationalというところだ)。前の二人を追い越さないようにゆっくり歩き、思ったとおり同じ宿に到着。当然ながら、チェックインするために同じ列に並ぶ。だが、自分からは声をかけない。
 今から考えれば本当に馬鹿らしく、もったいないことなのだが、何故か僕は「日本人とはむやみに喋るまい」としていた。せっかくのヨーロッパだから日本語をしゃべって雰囲気を壊したくないと思っていたのか、はたまた「おれは君たちとはちょっと違うんだ」などという下らなく理論も通っていないプライドを持っていたのか、自分からは日本人には話しかけないことにしていた。今思えば、本当に訳がわからないルールだ。
 さて、チェックインは英語なので自分が日本人だということは前の二人にはばれず(多分顔つきで日本人かどうかは分かっていたと思うけれど)、部屋にでかい荷物だけ放り投げ、必要なものだけ小さいバッグに入れて早速街へと出かけた。

 街はこじんまりとしていてすぐに一周できてしまうくらいだったが、そのこじんまりさが大都市とは違って、良い。ヨーロッパ史には疎いのだけれど、小高い丘の上に要塞が建っており、重要な拠点であったことを教えてくれる。僕がザルツブルクについて知っていたことと言えば、Sound of Musicの舞台であることと、モーツァルトの誕生地であることと、そのモーツァルトを讃えてのザルツブルク音楽祭。そのためにこの街にきたのだ。半年ほど前からコンサートチケットの予約をとって。